┃誰かに「なる」のが当たり前な、女の子。
幼い頃から、斜め上から自分を見ているもう1人の自分のような、客観的な視線を感じていました。
ゆえに、よく「ちょっと変わった子」だと言われていましたが、その自分は、自分のやっていることをよく観察していて、その視点のおかげで、たとえば誰も見ていなくてもゴミを拾う、といったようなささやかな倫理観や、客観的なものの見方が養われたのではないかと、思っています。
さて、そんな私は、子供の頃からいつも何かに「なって」いました。
魔法使い、アイドル、スパイ、親に捨てられた子、捕らわれのお姫様。
「演技をする」というよりも、もっと自然な「なる」という感覚。
いつもそうして遊んでいました。
いや、学校で授業を受けている時も、ご飯を食べたりお風呂に入っている時も、日常生活の多くの時間、「なって」いました。
「なって」いる自分と、それを客観的に見ている自分。
それはまるで、舞台上でお芝居をする役者と観客のような、時に役者と演出家のような、そんな関係性と似ていたのかもしれません。「なって」いる自分に対して、
「あぁ、この子は悲しいんだな」
「早くもとの世界に戻りたいんだな」
「ここから立ち上がっていくのだな」
そのように観察し、状況やその子(もう1人の自分)の心境を理解していく。ちょっと不思議な視点ですが、今思うと、それが私の共感力のベースになっていると感じます。
成長するにつれて、やがてそれは、自分自身として置かれている状況や感情を客観的に見ていく視点へと変わっていきました。
「私はひどく悲しんでいる」
「私はあの人に対して引け目を感じている」
「今は長い人生の中の高校1年生という時だ。二度と戻れないこの時間で、今の自分は何をすべきか?」
そんな風に、自分自身を外側から見つめていました。
このように観察することで身につけた客観的な視点と共感力は、現在、コーチングなどのセッションをする時に、非常に役立っていると感じます。
┃舞台役者の道へ。夢、そして挫折。
そんな子供時代でしたから、特別なきっかけもなく、なんの迷いもなく、成長するとともに自然と舞台役者への道を目指し、進んでいくことになりました。
私にとって、演じるということは、物心ついた時からあまりに自然に行っていた「なる」という感覚そのものでしたから。
役者の道を進み始めた19歳の時、アレクサンダーテクニークという表現者のためのレッスンを受けました。そこで初めて、深い心身のリラックスというものを味わいます。それは衝撃的な体験で、私はすぐに引き込まれ、独学でいろんな書籍などを読み学んでいく中で、やがてそれは、マインドフルネス瞑想ととてもよく似ている手法だという事実に辿り着きます。そして今度は、瞑想やマインドフルネスそのものに興味が移っていったのでした。
それが、私と瞑想、マインドフルネス、との出会いです。
それ以来20年以上、私は日々瞑想を習慣として続けています。
話を戻します。
10年間ほど舞台を中心に活動していた私は、がむしゃらにお芝居のことだけを考え、走り続けました。
周りに恵まれていたこともあり、小さな世界で周囲からそれなりに評価され、主役を頂くこともあれば、伝統的な能舞台をはじめとした素晴らしい舞台に立たせて頂いたり、憧れの海外の演出家の作品にも出演することができました。
子供の頃からパッとしなかった私が、唯一誇れるもの。
これをやるために生まれてきたのだと思えるもの、自分が本当に自分らしく自由でいられる時間、それが、お芝居でした。
ところが、その喜びであるはずのお芝居が、徐々に私を苦しめるようになっていきます。
なぜか?
「売れる」「食べられる」という課題が目の前に立ちはだかったからです。
役者として食べていくためには、売れないといけない。売れるためには、自分の個性を前面に出し、オーディションを勝ち抜いていかなければならない。これまでそんなことを考えたこともありませんでした。
認知されなければいけない。
目立たなければいけない。
そうでなければ、お芝居を続けていくことはできない。
そんな思考と現実が、私を苦しめました。
もともと自分をアピールすることも、人より自分を前に出すことも、とても苦手でした。それでも、自分の本音にフタをして、ムチを叩いて、その道に進むように、自分を強制しました。
うまくいかないと、自分はダメだと罵りました。
オーディションに受からないなら、お芝居をする資格はない
周りから求められる人が、売れる人だ
みんなが求めているのはあの人で、
誰も私のお芝居を必要としていない
必要とされていないのに、エネルギーをすり減らして、周りに迷惑をかけてまで、こんなことをいつまでやり続けるのか?
そんな風に自分を散々いじめ続け、当然ながら、やがて心が折れていきました。
「役者をやめよう。私には、無理だ。」
今思い出しても、胸が痛むような決断です。
幼い頃から、ご飯を食べるように自然と行っていた「なる」ということ。演じるということ。
私に与えられた表現方法。
それを自ら、捨てたのですから。
その傷は深く、癒えるまでに10年という歳月が必要でした。
┃本当の自分自身に目覚めて
けれども、そんな時も瞑想は続けていて、その習慣は私の心を軽くしてくれました。
それだけが救いでした。
お芝居を辞めた私は、その後結婚、出産、子育て、そして新しいお仕事に、目まぐるしく日々を過ごすようになりますが、迷う時、辛い時、どんな時も自分を救ってくれたのは、瞑想とマインドフルネスでした。
マインドフルネスは、辛い時や困難な時こそ、私たちの力になってくれるものです。
マインドフルネスを実践すると、心身の不調が和らぎ、何気ない日常の瞬間にこそ、人生の喜びと奇跡が宿っていることに気がつきます。
目の前にすでにある幸せに気がつきながら、徐々に傷は癒やされ、自己探究が進み、本当の自分自身に目覚め、幼い頃のような新鮮な感動、ワクワク感が蘇ってきました。
この美しい世界で、せっかく与えられたこの生命をどう表現していくのか?
そのことに、もっと心を尽くそう。
成功も失敗もなく、意味なんてなくたっていいから。
私は、ありのまま「自分自身を生きよう」
そう、心の底から決めました。
本当の私。ありのままの私。
それは、幼い頃から「なって」いた私。
自分を表現していた私。
その私を、もう一度取り戻そう。
マイペースにですが、舞台に復帰し、やりたいことをやり始めたら、不思議なことに私本来のエネルギーが回りだし、人間関係やお仕事など、人生のあらゆる方面で良い結果を得られるようになりました。人生全体が、良い方向へとスムーズに回転しだしたのです。そしていつでもリラックスしていて、そんな時も幸せな自分でいられるようになりました。
誰にでも、その人本来のエネルギーがあります。
本当の自分自身を表現した時、そのエネルギーが回り始めます。
“表現すること”
これは、誰にとっても必要なことだと、今ならよく分かります。
だから私は、その人らしく表現することをサポートしたい。
表現することの喜びと自由を、みんなに味わってもらいたい。
そんな想いで、日々活動しています。
今、目の前にある人生の素晴らしさを実感できること。
一瞬一瞬を愛おしんで生きられること。
これが「マインドフルネス」が私に与えてくれた1番の宝物です。
人生は、新たな出会いの連続。
マインドフルネスは、まさに新しい自分と新しい世界に出会うための扉。
一緒にその扉を開き、まだ見ぬ可能性に満ちた自分自身で、あなたの人生を生きてみませんか?
私が、そのお手伝いをいたします。
竹内 さやか(サヤカムナ)