思いがけず乱暴な言葉に出会ったり、「どうして!?」というような理不尽なことがあったり、あからさまな誰かの悪意に触れた時、私たちの心は、傷つきます。
先日、このようなご質問をいただきました。
職場でお客様の対応をしているとき、モラハラ的な発言を受けました。その時は、「傷つきたくない」という思いと、悪い方に引き込まれないようにしたいという思いから、自分の心を無の状態にして、やり過ごしました。 でも、そのように自分の心を閉じてしまっては、相手の方のお話をちゃんと聴くことができないし、心から目の前の相手に向き合うことができない。マインドフルではないと感じました。あの時、どのように向き合えば良かったのでしょうか? こんな時も、マインドフルに、相手とちゃんと向き合い、お話に耳を傾けた方が良いのでしょうか?
という内容のご質問でした。(要約しています)
回答する前に、まず、私はこの方の謙虚な姿勢を、尊敬します。
「私のとった行動は、正しかったのだろうか?」
「私は人に対して、思いやりを持てていただろうか?」
「もっと良い心のあり方や選択が、あったのではないか?」
こんな風に、自然と我が身を振り返ることができることが、すでに素晴らしい心の習慣が身についていらっしゃると感じます。
さて、
もし、目の前の相手が、意図的にこちらを攻撃しているように感じる時、どうしたら良いのでしょう?
こんな時も、マインドフルに、相手とちゃんと向き合い、お話に耳を傾けた方が良いのでしょうか?
相手がこちらを傷つけようとしている時、一番優先するのは、【自分の心を守ること】だと思います。
必ずしも、いつでも相手の話を正面から聴く必要は、ないんです。
自分を大切にして、今は「聴かない」を選択することも、またマインドフルなあり方です。
「無」であることと、本当の自分であるかどうかは、別の話。
私の場合、誰かが私を傷つけようとして何か吹っかけてくる時、刃を向けられた時、ピッタリ心の蓋をして、右から左へ聴き流しています。それは本当のその人の姿ではなく、したがってその言葉も、本心の言葉ではないからです。
また、今後も大切に関係を続けいきたい相手なのであれば、「ごめんなさい。今はお話ができません。」「少し時間をください。」など、正直にお話しすることもあります。
つまり、受け取らない。反応しない。
「受け取らない」というのも、愛なんです。
私がここにいないわけではない。相手の存在を無視するのでも、否定するわけでもない。
一時的に迷いが出て自分を見失っている1人の人の前に、私はいる。その言葉は受け取らないけど、その人に対する慈悲の気持ちを持ってそこにいることもできる。(できない時もある)
自分の置かれている状況や、心の状態に気がついて、大切な自分自身をちゃんと守る。
そんな思いやりと気づきの実践の機会として、私は捉えています。
わたしが故意に傷つけられそうになっている時
他の人に向ける優しさと同じように、自分自身に対して優しく、敬意を払って、ご自分を大切にしてくださいね。
何かのヒントになれば、幸いです。
お仕事おつかれさまです。
それでは、今日もいってらっしゃい!
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